2.火口に身を投げる

(via pikabu)

かつて日本中をにぎわせた自殺事件が、1933年2月上旬に三原山で起きた。実践女学校の学生である松本貴代子(21歳)が、噴火口へ投身自殺したのだ。

貴代子は自殺前に、「三原山の煙を見たら私の位牌と思って下さい」という言葉を父に残して家出をしていた。そして彼女は自分の死を見届けさせるため親友の富田昌子を連れ、2月11日の夜に船で伊豆大島へと向かっていた。

 

三原山の火口:直径約800m】

 

(via wikipedia)

その次の日、二人は三原山の火口に到着した。昌子は自殺を思い留まらせようと説得したが、貴代子は遺書を手渡して火口に身を投げてしまった。彼女の死を目の当たりにした昌子は錯乱状態になり、地元民に保護されるまで泣き叫びながら火口周辺をさまよった。

その後の調査で驚くべきことに、富田昌子は三原山で1ヶ月前にも同級生の自殺に立ち会っていたことが判明した。2人の友人の自殺に立ち会った昌子に対してマスコミは連日大きく取り上げた。昌子は連日「死神」「狂人」「変人」とののしられ精神を病み、同年4月29日に変死した。

【事故同年の三原山火口。ゴンドラで探査中】

 

(via wikipedia)

一連の自殺事件が報道された後、三原山は自殺現場を見ようとする野次馬が殺到。いつもは少ない来場者が、事件以降1日150人、休日には1500人が訪れた。野次馬の大半は自殺志願者だった。

マスコミの過熱報道も手伝い、三原山で彼女たちの後を追う者が絶たなかった。この年だけで129人が投身自殺し、自殺者数は未遂も含め944人に達した。